グイピン村で初のサブセンターを建築中

PHJの支援地であるグイピン村と周辺地域には約7千人の住民が暮らしています。
この地域では年間約130件の出産がありますが、一次医療施設であるサブセンターも分娩室もないため、約半数が自宅分娩をしています。そして、自宅分娩の約半数が無資格の伝統的産婆介助による出産です。

助産師の自宅がサブセンターの代わりに

そこでグイピン村で村人から土地を政府へ譲渡してもらい、PHJとタッコン郡保健局の主導のもと、助産師が診療や分娩介助を行うことができる施設として、サブセンターを建築することになりました。
現在、グイピンサブセンターの建築が開始されてから早1ヶ月半が経過しているところです。

サブセンター建築中

建築の際には、施工管理を担う業者も入り、建築物の質の確保に努めています。また、PHJは郡保健局や村人からなる建築管理委員会と共に進捗を確認し、定期的に会議を開いています。
完成は今年の夏頃になる予定で、土地を譲渡してくれた村人を始め、皆完成を心待ちにしています。

建築管理委員会との定例会議

建築したばかりの分娩室で新しい命の誕生

昨年9月に建設したインバコンサブセンターの分娩室で、新しい命が誕生しました。

(インバコンサブセンター建築に関してはこちらへ
今回が2回目の出産となる女性が朝6時に分娩室に入り、旦那さんも立ち会いました。

ミャンマーでは夫が出産に立ち会うことは滅多にありませんが、この夫婦は他の地域から転出してきたばかりで周辺に親せきや知人もいないため、夫が付き添うことになりました。
午前10時45分、約3㎏の元気な男の子が誕生しました。

この分娩室が村での安全なお産の場所として機能するよう今後もPHJはサポートしていきます。

「この施設で産んで良かった」サブセンターでお産の体験を共有

人口約3千人のアレージョン村にサブセンターが建築されてから約2年半が経過しました。
サブセンターには助産師と公衆衛生スーパーバイザーⅡが常駐し、母子保健サービスの提供だけではなく、軽いケガや風邪などの一般診療から、デング熱や結核予防などの公衆衛生活動の役割も担っています。
サブセンターには分娩室もあり、村の一次医療施設でのお産の場としても機能しています。2018年には15件の新たな命が誕生しています。

アレージョンサブセンターの分娩室

アレージョンサブセンターでの出産の件数は年々増えていますが、伝統的産婆介助(専門的訓練を受けていない無資格者)の元、自宅出産をする女性もいるのが現状です。
PHJでは、助産師と共に、妊娠中の女性を対象に毎月母子保健教育を行い、妊娠中の過ごし方や危険兆候、出産場所や準備について説明しています。また、サブセンターの利用を促進するために、過去にサブセンターで出産した女性を定期的に招き、出産の経験を共有してもらっています。
今回は二番目の子どもをアレージョンサブセンターで出産した女性の体験談を語ってもらいました。
女性の話によると、「一番目の子どもは伝統的産婆介助の元、自宅出産をしたが、自宅は十分な灯りもなく、窓がないため換気も悪かった。伝統的産婆が出産介助の際に手袋をしていなかった。また、昔からの風習を重んじ、産後は火を焚いて、全身の発汗作用を促すことや、産後に食べてはいけない野菜を指示された」そうです。
その後毎回母子保健教育に参加したことで、正しい知識を得られ、この施設での出産につながったとのことでした。

サブセンターでの出産体験を語る女性(左中央)と話を聞く妊婦さんたち(右)

実際サブセンターで出産してみて、「電気があり、換気も十分で分娩台も心地よかった、そして、有資格者である助産師に出産介助してもらい、薬も常備されており、緊急時にはすぐに対応できる安心感があった。」と言っていました。何よりうれしかったことは、ここでの出産を他の人たちにも勧めたいと言ってくれたことでした。
サブセンターが村で安心してお産ができる施設として多くの女性に選ばれるようにPHJは今後もサポートを続けていきます。


この施設で出産した女性とすくすく育っている赤ちゃん

「1年の振り返りと次の目標」助産師・補助助産師会議にて

PHJでは助産師と補助助産師の連携を図ることを目的に2015年より助産師・補助助産師会議を定期的に開催しています。
ミャンマーの助産師と補助助産師の違いは教育年数が異なることですが、助産師が政府職員であることに対し、補助助産師はボランティアであることも大きな違いです。(補助助産師については村の頼りになるボランティア 補助助産師トレーニングの開催参照)
助産師が村へ予防接種や各種保健サービスの提供に行った際に、補助助産師は助産師をサポートしますが、それ以外に連携を図る場が少ないため、地域保健センター(Rural Health Center)を拠点に会議を開催しています。

今回の会議では1年間の活動の振り返りや目標の達成度を共有しました。
過去1年間の会議において、助産師・補助助産師会議の参加率は達成できていることがわかりました。
一方で、母子保健教育の参加者が目標値以下だったため、参加率を向上させるためのアイディアを出し合い、
村のボランティアである母子保健推進員に対象者を集めるように協力を依頼する、出席者に景品を配布するという案などが出ました。
また、2年目の活動について個々人の目標を立ててもらいました。
たとえば、母子保健教育を計画通り開催することと、参加率の上昇を目指すこと、伝統的産婆による自宅分娩をなくし、病院や保健施設での出産を増加させる、といった目標が挙げられていました。

助産師や補助助産師は村人の健康を守るため、地域の末端つまり最前線で日々働いています。
助産師・補助助産師会議を通して、助産師と補助助産師のコミュニケーションが円滑になり、協働して仕事を行える機会が増えることで、地域の健康増進に繋がることを望んでいます。

 新たなる挑戦~遠隔地での母子保健推進員育成~

2018年10月17日より2年目の事業(*1)がスタートし、アイジェという遠隔地での母子保健推進員の育成が始まりました。
1年目の事業ではミャウッミェイ地域ですでに131名の母子保健推進員を育成しています。(参照⇒2018年7月の活動報告 お母さんと子供の健康を守る「母推さん」の育成へ
2年目からは、アイジェ地域の全34村から100名近い母子保健推進員(*2)を育成します。この地域は、活動地域の中でも端にあり、かつ面積も広いため母子保健推進員を集めるのは容易ではありません。
普段から助産師が村に行った時に仕事を手伝ってくれている女性たちを中心に選抜することで、ようやく100名近い女性を集めることができました。そして、母子保健推進員養成者研修を受けたヘルスアシスタントや助産師を講師として、2日間の研修を行いました。

研修では母子保健推進員の役割や担うべき責任、コミュニケーションの取り方や、母子保健の基礎的な知識、レポートの書き方などを伝えました。
コミュニケーションの取り方を学ぶため、母子保健推進員が妊婦さんの家を訪問するという設定で、ロールプレイも行ってもらいました。

雨季の時期は助産師が訪問できない村々もいくつかあるため、村にいるお母さんと助産師の橋渡し役となる母子保健推進員の役割はとても重要です。母子保健推進員の活動がこの地域に根付くようにPHJは今後もサポートしていきます。
*1 本事業は日本NGO連携無償資金協力の元、実施しています。
*2 母子保健推進員は国際協力NGOジョイセフ(JOICFP)がミャンマー保健省と共に定めたボランティアの一形態で、村の妊婦や産後の女性の所在を確認し、助産師と連携をはかり、妊婦や産後の女性が適切な時期にケアを受けることができるような役割を担っています。

政府職員とのプロジェクト評価会議の開催

2017年10月よりタッコン郡で開始したミャンマー農村地域の母子保健サービス改善事業も1年が経過します。そこで、10月11日に保健省母子保健課、ネピドー公衆衛生局、タッコン郡保健局の職員と共に、会議を開催しました。この会議の目的は、プロジェクト1年目の活動の結果や成果、2年目の活動計画を共有し、プロジェクトの妥当性や、持続可能性を考えた活動を政府職員と協議することでした。

政府職員とのプロジェクト評価会議

活動は1.安全な分娩環境づくり支援、 2.医療者(特に助産師)のスキル向上、 3. 村での母子保健教育活動、4.村のボランティア育成と連携強化、5.政府職員との連携強化の5つを柱としています。
1年目の活動では主に、インバコンサブセンターの分娩室の建築、分娩台やオートクレーブなどの必須医療機器の供与、助産師卒後研修、補助助産師リフレッシュ研修、助産師によるサブセンターや各村での母子保健教育、村での母子保健活動に従事するボランティアとして「母子保健推進員」の育成などを行いました。
1年目の主な成果としては、分娩台や診察台などを寄贈したニャオトンアイサブセンターでは稼働から約7ヶ月足らずで、22件の新しい命が誕生したことや、助産師卒後研修で学んだ緊急時の処置により産婦さんの救命ができたこと、定期的に母子保健教育を開催することで、村のお母さんたちの助産師への信頼度が高まったことや、母子保健推進員が妊娠初期の妊婦を発見し、妊婦健診の受診率が少しずつ増えていることなどです。

サブセンターでの母子保健教育

今回の会議で議論されたことは、ミャンマーでの政策でもある1.施設分娩率を上げるアプローチとして現在の活動の妥当性、2.二年後のプロジェクト終了に向けて、持続可能性を考えた活動を行う、ことでした。
1に関しては地域でボランティアを育成し、助産師へ照会する仕組みは良く、併せて1年目から行っている助産師のトレーニングも継続してほしいこと、2は、多数いるボランティアの持続可能性を考えて、タッコン郡保健局と一緒に活動を行っていくことが議論されました。
プロジェクト開始から約半年が経過した時点に、保健省母子保健課の助言により、対象活動地をミャウッミェイ地域保健センター管轄地からタッコン郡全体へと拡大することになり、大変な苦労と労力を強いられましたが、タッコン郡保健局やネピドー公衆衛生局の協力もあり、苦難を乗り越えることができました。
2年目からは拡大した活動地域でも母子保健教育の開催や、母子保健推進員を育成します。1年目に得られた成果を他の地域へも拡大し、より多くの母子が健康に過ごせるようにPHJはサポートしていきます。

産後間もない女性と赤ちゃん

インバコンサブセンター分娩室の寄贈式

2018年3月下旬より建築を開始していたインバコンサブセンターの分娩室が完成し(日本NGO連携無償資金協力の支援によるものです)、分娩室に設置する分娩台やベッドなどの家具も設置されました。「お産をする施設がない村に分娩室を」にも書いてありますが、ミャウッミェイ地域にあるインバコンサブセンターは数年前に建築されましたが、分娩室がありませんでした。この地域の出産は年間136件(2016年)。妊婦さんたちは遠く離れた病院や、自宅に助産師を呼んで出産をせざるを得ない状況でした。

完成にともない、9月19日にインバコンサブセンター分娩室の寄贈式が開催され、多くの近隣の住民が集まってくださいました。

ネピドー公衆衛生保健局の挨拶

ネピドー公衆衛生保健局からも感謝の意が述べられ、ここのサブセンターで分娩をし、有効活用をしてほしいという話がありました。

寄贈式に集まった地域住民の方々

また寄贈式の模様はミャンマー国営放送のMRTVにも放送されました。

MRTVの取材風景
MRTVで放映されました

農村部において自宅出産が主流のミャンマーでは、お産の場所として施設を選ぶ女性が少ないのが現状です。
PHJは村での母子保健教育を通して助産師と共に、安全なお産の環境について村人に伝えながら、多くの命がこの新しい分娩室で産まれることを願っています。

助産師と母子保健推進員の定期会議の開催

先月、育成された村の母子の健康を守るボランティア、母子保健推進員(参照⇒お母さんと子供の健康を守る「母推さん」の育成へ)と助産師の会議を行いました。
この会議は、助産師が司会・進行を務め、母子保健推進員がサポートする助産師の活動の打ち合わせや調整、村の母子保健に関する情報共有を目的に開催しています。
今回の会議では、母子保健推進員が直面している問題や、助産師が村から母子を搬送したケースについても話し合われました。

母子保健推進員からは、村の妊婦さんたちが伝統的な風習に捉われており、母子保健推進員の助言をなかなか受け入れてもらえないという声や、普段仕事をしている母子保健推進員は助産師の急な予定変更に対応ができず(助産師はお産や急病人が出た場合の緊急対応を優先せざるを得ない状況がある)助産師の活動を手伝いたくてもできないことがあるという意見が聞かれました。
助産師からは母子の異常のサインがあれば、早めに助産師の元へ搬送してほしいということを呼びかけていました。

母子保健推進員を育成し、未だ一か月足らずですが、育成された母子保健推進員は、妊娠初期で妊婦健診を受けていない妊婦さんや、海外から出稼ぎに帰ってきた妊婦さんを助産師の元へ照会し、助産師の橋渡し役となって活躍しています。また、妊婦さんだけではなく、村にいる女性が婦人科疾患の症状があった時も仲介役となって助産師につないだケースもありました。今後もより一層、母子保健推進員が継続的に活動に関わっていけるように助産師と一緒にサポートしていきます。
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お母さんと子供の健康を守る「母推さん」の育成へ

ミャンマーの村の女性の中には妊娠しても妊婦健診を受診しないまま出産を迎えたり、助産師の存在さえ知らないこともあります。また他の地域から引っ越してくると地域住民として認知されないこともあり、ケアが行き届きにくい傾向にあります。
そのためPHJでは村の妊婦さんと助産師のつなぎ役となる「母子保健推進員」というボランティアを育成し、一人でも多くの妊婦さんや産後の女性が助産師から適切な時期にケアを受けられるように支援しています。

「母子保健推進員」は昭和43年に日本で制度化されたボランティア。母子の健康を守るために地域で活動し、母推(ぼすい)さんと呼ばれて親しまれています。ミャンマーでは国際協力NGO(JOICFP)がミャンマー保健スポーツ省と共にボランティアの一形態として定めました。
PHJの支援地でこの母子保健推進員を選抜・育成するのは長い道のりでした。2017年11月から支援地内の27村を1村ずつまわり、村長や村の有識者にプロジェクトや母子保健推進員の説明と、母子保健推進員選抜への協力をあおぎました。
(参照⇒2018年1月の活動報告 村の妊婦さんと助産師をつなぐ 母子保健推進員の選出に向けて
母子保健推進員が集まりにくい村がいくつかあったり、選抜した母子保健推進員が海外に出稼ぎに行ってしまい、再度選抜を行わざる負えない事態が起きたこともありましたが、村長や助産師の協力の元、合計131名の母子保健推進員を集めることができました。

そして、選抜された母子保健推進員に対して2日間の研修を実施できました。
この研修は、母子保健推進員養成者研修を受けた助産師が講師になり、母子保健推進員の役割や責任、コミュニケーションの取り方、母子保健の基礎的な知識を学びます。
コミュニケーションの研修では実際に母子保健推進員役と母親役に分かれてロールプレイを行いました。恥ずかしく、躊躇ってしまう姿も見られましたが、慣れない状況ながらも、母子保健推進員として妊婦さんと一生懸命コミュニケーションをとろうとする姿が印象的でした。2ヶ月後には助産師と母子保健推進員の会議を行い、フォローアップを行っていく予定です。
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村の頼りになるボランティア 補助助産師トレーニングの開催

PHJの活動地であるミャンマーの農村部、タッコン郡では42名の補助助産師がいます。
補助助産師は中等教育修了後に6ヶ月のトレーニングを受け、自分たちが居住する村で助産師の指導・監督のもと母子保健サービスを含む公衆衛生活動を行っています。
政府職員である助産師とは異なり、補助助産師の活動は無償で行われています。
タッコン郡では1980年代から1990年代に育成された補助助産師が大半を占めており、補助助産師課程が修了してからの卒後トレーニングの機会がほぼありません。
補助助産師は村での公衆衛生活動を助産師と一緒に行いますが、助産師が不在の場合などは分娩介助を単独で行うこともあるため、知識や技術のアップデートはとても重要なのです。
タッコン郡保健局からの要望もあり、PHJでは2016年から補助助産師の卒後トレーニングを定期的に行っています。

トレーニングは2グループに分かれ、5日間に渡って行われます。補助助産師は専門教育期間が短いので基礎的な技術についての講義や模型を使った訓練を行っています。
参加者の中には補助助産師課程が修了してから、PHJのトレーニングを受けるまで1回もトレーニングを受けたことがない人や、いつトレーニングを受けたかさえ思い出せない人もいました。
「トレーニングは前に習ったことを思い出させてくれます。今回習った妊婦さんや赤ちゃんの危険兆候を村人に伝えていきたいと思います。」トレーニング終了後にはこんなコメントありました。

村に居住しながら村人の健康を守る補助助産師の存在は村人からも慕われています。また、配属されたばかりの若手の助産師にとって、年配の補助助産師はその土地のことをよく知り、住民との信頼関係が構築されているため頼りになる存在でもあります。
助産師と補助助産師が連携し、適切な母子保健サービスが提供できるようPHJは支援していきます。
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