【現地スタッフの声】助産の現場を知る私だからこそ、できる支援を。
PHJカンボジアの母子保健改善活動を支えるのは、現地の状況を誰よりも理解している現地スタッフたちです。今回登場するのは、助産師のソチェックさん。 かつて保健センターで主任助産師として3年以上勤務し、数えきれないほどの出産に立ち会ってきた彼女は、なぜ今、PHJのスタッフとして村々を回っているのでしょうか。現場を知る彼女の言葉は、私たちがなぜこの支援を続けるのか、その答えを教えてくれます。
皆さん、こんにちは。PHJカンボジア事務所でプロジェクト・アシスタントとして働いているソチェックです。
私はPHJに入職する前、PHJの事業地内の保健センターで3年以上、主任助産師として勤務していました。
今日は、私がなぜ現場の助産師からNGOのスタッフになったのか、そして今どんな思いで活動しているのかをお話ししたいと思います。

孤独と不安のなかでの出産介助
保健センター時代の毎日は、まさに戦いでした。助産師としての妊婦健診や分娩介助だけでなく、一般外来、予防接種、さらには怪我の手当や薬の処方まで、あらゆる業務をこなさなければなりませんでした。
特に苦しかったのは、圧倒的な孤独感でした。助産師はほかにもう一人いましたが、出産の際に私だけが助産師として立ち会うことが多かったのです。。
教科書では学んでも、実際に経験したことがない症例に直面するのは恐ろしいことでした。
予期せぬ双子の出産を無事に終えて胸をなでおろしたこともあれば、同時に高血圧や手足の浮腫などの危険な兆候が出たときに、何をすべきかわからないという恐怖も覚えています。複雑な応急処置を行うとき、自分の知識が限られていると感じ、母子の命を守るプレッシャーに押しつぶされそうでした。

決して忘れられない、あるお母さんのこと
私の心には、今も消えない思い出があります。以前、2度の流産経験のある妊婦さんに「大きな病院で産むように」と勧めました。しかし彼女は「家から近い方が安心だから」と、保健センターでの出産を希望されたのです。
そして、彼女は出産後大量出血に見舞われました。すぐに救急車に連絡をとり、病院への搬送手続きをすすめましたが、病院への照会手続きに時間がかかりました。手続き完了後に搬送したものの、病院に到着した時にはもう手遅れでした。この時私が必死に蘇生を試みたことを今でも忘れません。
のちにPHJの活動である助産師会議を通じて、大量出血時の緊急搬送の事例について話し合いで、当時病院への搬送が遅くなってしまったのは、病院の照会システムの問題だということが分かりました。

現場のニーズを、支援の形に変える
こうした経験があるからこそ、私はPHJでの仕事に強いやりがいを感じています。現在は家庭訪問をメインに、助産師や保健ボランティアの研修、助産師会議の運営などを担当しています。
私は現場を知っています。助産師がどんな器具を必要としているか、どんな知識があればパニックにならずに済むか、彼女たちの直面する課題が痛いほどわかるのです。
PHJが行っている「助産師への研修」「医療器具の供給」「24時間の監督体制」といった支援は、どれか一つが欠けてもいけません。
質の高い医療サービスを提供し、それを地域の人々が安心して受けられるようにする。この「補完し合う仕組み」こそが、多くのお母さんと赤ちゃんの命を救う鍵になると信じています。
かつての私と同じように、現場で一人、不安と戦っている助産師たちを支えるために。 私は今日も、地域の村々や保健センターを回ります。
