熊本地震活動報告(全日病ニュース7/15)

全日病ニュース7/15号より地震発生の4月14日から5月初旬までの活動の報告のまとめを抜粋します。
■全日病と日本医療法人協会の合同対策本部を設置
今回の支援活動の特徴は、まず、全日病と日本医療法人協会が合同災害対策本部を立ち上げたこと。これにより被災地における拠点を設置したり、人を派遣する上で役立った。
・先遣隊を派遣したことや ためらわず行うPush 型の支援も特徴としてあげられるだろう。
・病院支援においては災害時医療支援活動班 AMAT(All Japan Hospital Association Medical Assistance Team)の活躍が大きかった。入院診療支援(緊急増床分)と外来診療支援(夜間時間外救急)さらに避難所の巡回診診療などの活動を行った。
■発災直後から迅速に対応(14日~16日)
災害発生時は最初の3日間が非常に重要である。
・4月14日には、本部事務局に災害対策本部を仮設した。発災の 30分後には全日病事務局に事務員2人がかけつけ、対策に入った。まず熊本県内の会員病院の被災状況を確認した。
・4月15日 11時には、全日病と日本医療法人協会の合同で、災害対策本部を設置。発災から 14時間で、対策本部を立ち上げた。
・4月16日の午前1時 25分に本震が発生した。前震の被災状況から、今回の震災はあまり大きくないと認識していたが、本震後の状況をみて認識が大きく変わり、支援活動をリセットすることとなった。
■支援物資の搬送で協力を得る(16日本震から)
16日に、白鬚橋病院の AMAT が空路で出発。同病院の大桃院長は、救急・防災委員会の委員であり、災害医療の専門的知識を持っているため先遣隊として現地に入っていただいた。
現地の会員病院から水や食料が不足しているという連絡があり、対策本部にて早急に対応を検討した。
支援物資の搬送に当たっては、福岡県の田主丸中央病院・ヨコクラ病院を拠点として熊本市内に搬送することとした。もう一つのルートは鹿児島県から搬送するルートである。災害対策本部で鉾之原常任理事・鹿児島県支部長(市比野記念病院)が物資の搬送を申し出ていただいた。
余震が続き、熊本市内の状況がわからない状況だったが、鹿児島県から市比野記念病院、国分中央病院、サザンリージョン病院の3隊が熊本市内に水や物資を運んだ。こうして初期の一番たいへんな時期に水と食料を届けることができた。
16日には全日病の災害救援物資の搬送チームが出発した。全日病本部では、いざというときの災害救援物資を備蓄しており、すべての救援物資を被災地に運ぶことを対策本部で決め、事務局員の2人が物資を持って現地に入ることとした。
熊本市内では、青磁野リハビリテーション病院を支援物資の拠点とすることとし、AMAT も同病院を拠点に活動を展開した。
【AMAT 派遣元・派遣先・期間】
・織田病院(派遣元) →熊本赤十字病院(派遣先) 4/15~ 4/16(期間)
・ヨコクラ病院→ 熊本赤十字病院 4/15
・白鬚橋病院→青磁野リハビリテーション病院 4/16~ 4/20
・赤穂中央病院① →青磁野リハビリテーション病院 4/16~ 4/18
・南多摩病院①→ 青磁野リハビリテーション病院 4/16~ 4/21
・永生病院① →青磁野リハビリテーション病院 4/17~ 4/20
・赤穂中央病院②→ 東病院 4/16~ 4/22
・永生病院②→ 東病院 4/20~ 4/24
・南多摩病院②→ 宇城総合病院 4/21~ 4/24
・霧島記念病院→ 東病院 4/23~ 4/24
・南多摩病院③ →宇城総合病院 4/25~ 4/28
■支援物資に対するニーズの変化
支援物資に対するニーズは時間の経過とともに変化する。
発災から3日間は飲料水の不足があったが、それを過ぎると水の需要は満たされた。医薬品・衛生材料などの需要は7日目くらいまで、日用品・食料品の需要は 14日目くらいまでであった。
現地では、4月 20日〜5月7日まで、県内の会員病院に毎朝9時にファクスを送り、支援物資の在庫状況を情報提供し、各病院に必要な物資をとりにきてもらった。
全国からオムツなどの支援物資を提供していただいたが、今回の地震ではイオンなどが大量の物資を送ったこともあり、支援物資は若干余ることとなった。
AMAT は東病院と宇城総合病院に人を派遣してしっかりした支援をすることができた。
5月17日には、西澤会長とともに被災地を視察し、阿蘇立野病院を訪れた。病院の裏側でがけ崩れがあり、撤収の判断をされたことは適切であったと思う。
同病院の上村院長にお会いし、復旧に向けてがんばるという意欲にあふれた表情をみることができた。
今回の熊本地震では、様々なことを経験した。AMAT は、災害時に民間病院が助け合うためにつくったものであり、今回その機能をしっかり果たすことができた。大きな震災がいつ起こるか分からないのが日本であり、今回の経験を活かして備えを確かなものにしていきたい。


TOP