災害救援支援 スマトラ沖大地震・津波

災害概要

2004年12月26日インドネシアスマトラ沖で起きた地震と津波。この大地震・津波が、22万人の死者・行方不明者、200万人の被災者をもたらしました。

災害概要については外務省のページを参照して下さい。

支援状況(2006年1月)

ピープルズ・ホープ・ジャパンでは、被害の大きかったインドネシアアチェ州、タイ南部での災害緊急支援と復興支援を行ってきました。

インドネシア

アチェではおびただしい臭気の中を調査しました。行政が複雑で必要物資の情報発信が出来ておらず世界中から救援物資が届きましたが不足や重複が多く、道路が分断され被災地に届かない場合も多くありました。行政が不十分で復興計画に手間取っています。都市計画が先でその後に診療所を復興したいと思います。

タイ

タイでは津波の3日後には必要物資リストが行政から配られ、遺体処理用の種々の医療物資を寄付して重宝されました。国内で物資調達も可能のため復興が早く両国の行政の差がはっきり出ました。ピピ島病院は建物のみ残り医療設備は全滅のため、復旧支援を行いたいと計画しています。

プロジェクトHOPE 35号より

各地からの経過報告(2005年7月15日)

東京事務局スタッフより

皆様からお預かりしていたスマトラ募金(596万円)全額と年末募金の一部を加え、合計700万円を上記の通り各事務所に送金しました(6月末)。今後も進行に応じ報告いたします。(HOPEニュース33号より)

休暇返上で支援にあたる − 活動報告(2005年4月)

昨年12月26日、スマトラ沖地震によって発生したインド洋大津波は、未曾有の大被害を呼び30万人という大勢の犠牲者を出し、新聞・テレビで連日報道されました。
被害地域のインドネシアとタイにはプロジェクトHOPEジャパン(PHJ)の現地オフィスがあります。幸いスタッフに被害はなかったのですが、スタッフ一同、年末年始の休暇を返上して被災地を訪問し献身的に支援と調査を行いました。
一番被害の大きかったインドネシアでは、震源地近くのアチェを中心に22万人が犠牲となり復興に10年かかると言われています。アチェはインドネシアからの独立運動が激しく現地訪問は危険が伴い一般のNGOが入るのは難しい地域ですが、インドネシア事務所の伊藤所長は今までの活動が評価されて、政府オフィシャルコンサルタントとしてただ一人政府調査団に加わり現地訪問し、支援活動を行っています。

インドネシア

アチェではおびただしい臭気の中を調査しました。行政が複雑で必要物資の情報発信が出来ておらず世界中から救援物資が届きましたが不足や重複が多く、道路が分断され被災地に届かない場合も多くありました。行政が不十分で復興計画に手間取っています。都市計画が先でその後に診療所を復興したいと思います。

タイ

タイでは津波の3日後には必要物資リストが行政から配られ、遺体処理用の種々の医療物資を寄付して重宝されました。国内で物資調達も可能のため復興が早く両国の行政の差がはっきり出ました。ピピ島病院は建物のみ残り医療設備は全滅のため、復旧支援を行いたいと計画しています。

スマトラ募金のご報告

(2005年3月17日現在)
法人 1,435,000円
個人 2,023,910円
法人従業員 2,485,763円
合計 5,944,673円

このたびは多くの募金を頂きまして有難うございました。今回は個人寄付の割合が高く、なかでも法人が自社従業員(法人従業員)の方に呼びかけ、募金をまとめて下さった例がたくさんありました。音頭をとっていただいた社会貢献部門の方や募金いただいた従業員の方々に心から御礼申し上げます。これらの募金は全額を津波災害復興支援に使用させていただきます。

HOPEニュース 32号より


調査報告(2005年2月1日)

見るものすべてが、想像をはるかに超える悲惨な光景だった

プロジェクトHOPE ジャパン インドネシア事務所長(インドネシア保健省津波復興対策チーム)伊藤 美夏

去る1月17日から21日の5日間、インドネシア保健省調査団の一員として、2004年12月26日のスマトラ沖地震・津波で最もひどい被害を受けたアチェ州を訪問調査した。目的は、今後の復興支援計画へ向けた現地視察である。

17日午前、バンダアチェ空港に到着。空港では支援物資を運搬するヘリコプターが離発着していた。アチェ州保健局の出迎えを受け、空港ビルの外へでると、すぐそこは被災者キャンプだった。保健局の人に「津波の現場に直行しても大丈夫?心の準備できてる?」と聞かれ、迷うこともなく「もちろん大丈夫」と答えた私。地震・津波発生以来毎日、メディアを通じ多くのアチェの映像をみていたから心構えはできていると思った。しかし、現実は甘くはなかった!

空港周辺は被災を逃れたためか緑が多かった。空港を離れ次第に海岸線に近づくにつれ被害が目に付くようになっていった。しばらくすると強い悪臭が鼻につく。医療用マスクをしても効果がなかった。道端に置かれた黒のビニールで包まれた遺体の数が増えていく。中には発見されたばかりの遺体・・・海水に長く晒されていたためか皮膚の色素は抜け真っ白・・・。津波で壊された車・・・。突然コンクリートと材木の廃材しかない光景がの前に広がった。はるかかなたの海岸線までところどころにヤシの木がある以外になにもない。その海岸線に奇跡のように残ったイスラム教礼拝堂がかすかに見えた。言葉もなく唖然とした。家屋が密集し1万人もの人が集落を作り生活していたなどとは、想像する余地もなかった。思わず涙がでそうになった。

バンダアチェ市内に入った。やはり被害はものすごかった。アチェ州や周辺の郡の役所・警察関係の機能は麻痺していた。建物は津波の被害で使用できず、また書類は全て紛失している。アチェ州保健局の建物の中には未だ収容されていない遺体が3体あるという。ジャカルタからボランティアで駆けつけた男性が一生懸命に復興作業にあたっていた。街中まで打ち寄せられた漁船も多数あった。

アチェベサール郡でも被害はすさましかった。ここでは、海岸線から15キロまで津波が押し寄せ、その高さは20メートルに及んだと人々は語っていた。地域医療の中心となってきた診療所や、周りの家々は跡形もなく、まさしく「死の村」だった。幸いにも難を逃れた診療所があった。中はメチャクチャだった。長靴なしでは活動できない。倉庫には未配給の栄養食ビスケットが泥まみれになって転がっていた。このビスケットは先日訪ねたキャンプで要望の高いものだったが、保健省にはストックがなかった。中を開け、試食してみた。味に問題はなかった。全て回収し井戸水で洗い、すぐにキャンプへ向い配給した。

いくつかの被災者キャンプも訪問した。被災者キャンプでは、大勢の人が生活していた。保健省の人と一緒に幼児用の栄養食やビタミンAを配給してまわった。韓国からの医療救援部隊、シンガポールからの医療支援部隊やロシア軍の支援部隊とも交流することができた。なかでも、ロシア軍は放射線医療機器を含む万全な医療設備を備えていた。ロシア人の外科医師Dr.Wasiliは「ロシア人にとってこのように暑く、日差しの強い地域での活動は容易ではない。ロシア人の中には強い紫外線による皮膚病に悩まされている兵士が沢山いる」とも話してくれた。緊急支援を担当する人たちも並でない苦労を強いられていた。

あるキャンプで人懐こい男の子に出会った。テント暮らしで心身ともに疲れているはずなのに、笑顔で迎えてくれた。ゆで卵が配給され、男の子は2つもらった。真っ先に私のもとへ走りより「1つ食べる?」と聞いてきた。「自分で食べなさい」と答えるとニコニコしながら食べ始めた。このような窮地でも、人への思いやりを持ち続けている幼い男の子。心が締めつけられる思いだった。ある女性は「自分と子供は難を逃れたが、夫がまだ戻ってこない。夜になると子供が怯えて泣き止まない」と涙を流しながら語ってくれた。

被災を逃れた地域に行ったときのことだった。道端に人が集まっていた。車を止めてみると、1人の男性が倒れていた。かなり衰弱し、ハエがたかってくるほどの悪臭だった。男性は話せる状態ではなかった。よほど恐ろしい体験をし、やっとの思いでこの地まで逃れてきたのであろう。近くの診療所の医師と相談して近くのキャンプの医療チームまで搬送した。診断は「過度のストレス」だ。

こんなこともあった。ひどい被害を受けた地域で突然水浴びしている象が目に入ってきた。「なぜこんなところに象がいるんだろう」と不思議に思った。なんと、象が遺体探しに狩り出されていた。足場の悪い沼地で長い鼻でガレキを掻き分けながら作業をしていた。現地ではブルドーザーやパワーシャベルが不足している。

雨季のために夕刻になると豪雨が降り、洪水となる。テントの中にまで水が入ってくる。水を見ると怯える人が大半だ。そして、犬の遠吠え。遠吠えが聞こえると人々は更に怯えを増す。現地では「夜の犬の 遠吠えは霊がさまよっている証」と信じられている。

4日間同行してくれたアチェ州保健局のユユン先生も被災者の1人だ。彼女自身も津波の濁流に呑込まれた。2人の子供を亡くし、8歳の子が行方不明だ。かすかな望みをもって被災者キャンプを尋ねては子供を捜している毎日だ。そして全ての財産をも失った。しかし、悲しみをこらえてアチェの1 日も早い復興を願い毎日仕事に励んでいる。

アチェへの訪問調査を終え、私自身がものすごいショックを受けたことに気づきました。帰着後はテレビのアチェ映像を見ることができなくなり、アチェのことを思い出すたびに涙がでてきます。アチェの夢を見、はっと目覚めることもしばしばです。現地を訪ねただけでこれだけの精神的苦痛を受けるのに、実際に被災された人々はこの何千倍もの精神的苦痛に悩まされていることでしょう。この被災した人々が一日でも早く平和な暮らしを取り戻せるように、「国際社会が力を合わせて協力していかなければいけない」と強く実感しました。

全てを失ったアチェの復興は「ゼロからのスタート」です。決意を新たにし、インドネシア保健省その他関係団体と協力しながら人道復興支援に取り組みます。皆様の暖かいご支援をよろしくお願いいたします。

HOPEニュース号外より